2月2日(月) NHK教育 福祉ネット 「子どもサポートネット 1200件の書き込みから」

先月10日の3時間の生放送「親と子を支えるために」(親と子が抱える「生きづらさ」に耳を傾ける)の反響が、番組の掲示板に1200件寄せられた。 寄せられた声を振り返り、親や子の問題をどう考えるべきか、どう見るべきか、話し合う内容。
虐待に苦しむ子どもの「居場所が無い」という声とともに、親の立場からの「子どもと向き合う辛さ」の書き込みが紹介される。 些細な事で感情的になって叩く、この子がいなければ好きな事ができるのにと思って手を上げる、親にされた虐待と同じ事を自分の子どもにする、等々。
これまで言えなかった事、言うとかえって傷つけられる事もあった事が、掲示板を通して言えるようになった。 親に愛されなくても、誰か一人でも支える人がいるだけで乗り越える人もいる、掲示板などで言って何か救いが得られたために乗り越える人も。 救いや支えを社会がどう作るかが大事、という事。 声を上げる事で、希望が見え始めた、何かが動き始めた。 声をどう救いにつなげて行くかが今後の課題と思われる …との出演者のコメント。 言ってもいいんだと分かり、カミングアウトができるようになった。 そこから色々な必要な救いは来ると思う、と。
掲示板には、抱えた痛みを分かち合う場を求める声が多く寄せられた。 「良いお母さん」等、明るい事しか言えない中で、声に出せない思いを相談できるネットワークが欲しい。 些細な事でも子育て中のママには深刻で「大丈夫、それでいいんだ」と言われたい、等。
子が親に伝えようとすると「なんで今頃そんな事言うの」と、壮絶な親子喧嘩になってしまう。 親子でも考えている事は実は分からない。 でも、仲間を増やしても、必ずしも理解と共感の上に立てる、という思い込みも禁物。 一人一人違うと思っていないと大変かも、と出演者からのコメント。 共感すべき仲間が集まっているはずなのに、同質過ぎると、些細な違いがいがみ合いの原因になるという事もあるらしい。 寂しくて近寄ると、お互いのトゲで傷つけ合ってしまう「ヤマアラシ・ジレンマ」と呼ぶそうだ。 ママ友も大事だが、世代も環境も違う異質集団と触れ合って母親の生活を開かないと、悩みは解消されないとの事。
掲示板の中で専業主婦と働く母親の「論争」も生じた。 「専業主婦の母親にもサポートを」 「働く母親には相談する時間さえも無い。専業主婦ならどうとでもできるのでは。」 女性は働くべきか、育児に専念すべきか、いまだに存在するこんな論争。 女性がどちらも自分で選ぶことができ、どちらを選んでも安心して子育てをしたり「ワーク・ライフ・バランス」を保てる社会や制度になれば、自然と消え行く「論争」。 「子育ては女がするもの」という男社会的価値観があるからこそ、女性同士に 「専業主婦は楽でいいわね。」 「働く母親は育児を放棄しているのでは?」 というバトルが生まれてしまったりする。 でも、口にしてはいけないとされる辛さ等を表現しあう場があると、そこが「出発点」になる。 そして問題が放置されずに、手を差し伸べる人が増えていく。 だから希望を持って一緒に進もう、という番組をやっていきたいと番組は締めくくられる。
虐待を受けた子どもをサポートするのが目的だとした時、被害者と加害者の相談窓口が同じであるという事には、疑問が生じてもおかしくないはずなのだが、何しろそこまで要求できないほど、虐待の問題に対する日本における理解や対処は全く進んでいないというのが、現実のレベルなのだ。 そこには親子の関係は修復できる、修復しなくては(させなくては)いけないという思い込みも垣間見える。
先進国には教育を施しても改善の見られない虐待親を子どもの元へ戻さない、というような選択肢も存在するのだが、日本にそんなオプションはない。 だが、あまりにも虐待が苛烈すぎて回復不能の心の傷や、PTSDを負ってしまったケースも現実には存在するのだから、虐待の被害者と加害者を一緒くたに扱う選択肢しかないのは、実際には問題がある。
そういった場合、被虐待者を助ける目的で窓口を作るのであれば、一緒に対象にしていいのは、自分が虐待を受けていても親になっても子どもに虐待をしていない人だけだと思われる。 そこまでして虐待親と分離する必要がある場合がある、という共通認識が日本に育つのは、はるか先の事であろう。
受けた虐待を虐待と認識できずに、大人になってカウンセラーに教えてもらって気持ちが晴れました、親も大変なんです、で済まされるケースばかりとは限らないのだ。 修復不能の心の痛手は、全く虐待と気付かれない精神的虐待でも(あるいはそれだからこそ)起きるのである。 虐待しても一切罪悪感を持とうとしない親も、いくらでもいるのである。 その時被虐待者を前にして、虐待した親を同列に扱ってよいだろうか。
ただ、日本で子どもを虐待する親に過度に暖かい目を向けようとする傾向は、簡単には改善されないだろう。 なにしろ子どもに関する精神医学の遅れで数えるなら、先進国に対して50年というのだから。 このような番組が作られるようになっただけで超画期的と取るところから始める以外ないのだ。 ずいぶん気の長い話である。